体を動かすごとがとても嫌いだった私が、体を動かしている。
それだけでも自分でも驚く事
まぁ毎日じゃないしハードなトレーニングとも違うけれど
なんていっても前に書いたけれど持久走ビリだったわけで。
運動は大の苦手だったわけで、、、
私でも出来る運動がある事を知った事が大きな一歩だった
ヨガが終わった後、なんか分からないけれど
『きもちい』というあの感覚。
そして、外で行うとそれが倍増する。
無理はしなくていい。
そして、あの時毎日やってたから体の変化にも気付く事が出来た。
他人からみたら何てコトない変化だけれど、
私にとっては新たに惑星を発見したかのようなビックニュース。
その感覚が、今でもある。
チャレンジし続けているから。
変化が私を継続させている。
近所でもヨガサークルがあるとの事で参加してみた。
結構人が集まってた。
ヨガにも色々ジャンルがあるのだけれど、
今、トライしているのがアシュタンガヨガ。
結構ハードで、やる前は大丈夫かな?と心配だったけど、
出来ないから挑戦するわけで、、、、
と週1で習っている先生とは違うけれど、
体を動かしたかった私は勇気を出して参加してみた。
そしたら、一人で黙々と練習するタイプで。。。
いわゆるマイソールタイプで。
それは初めてだった。
というか、一人でコツコツなんて、心が弱い私は無理だしーーー
って着替えてからそれが発覚して、
ヒョエー!!!
順番とか覚えていないし!
やっぱり無理だしーーー
って心が折れかかっているときに、
先生がサラッとどめの一言。
『ヨガってそもそもソーユーものだから』
そうなの?そうなの?そんなにストイックなものなの?
嫌だー!
私(人間)はそんなに強い生き物じゃないんだよ。
欲にまみれ、恨み辛み妬み、、、そんな欲望とか感情が渦巻いているんだよ。
聖人君主みたいな仙人みたいなのはほど遠いんだよ。
帰る!帰りたい!
マットの上でただ立って、私は葛藤していた。
帰る!帰りたい!
帰るの?帰っちゃうの?
帰る?帰らないの?
そんな葛藤中、
ふと、私は甘えていたんだな。と我に返った。
ガイドがあるからヨガが出来ていて、
みんながいるから頑張っていた。
そして、もっと言ってしまうと
家でヨガが出来ないのも環境が整ってないから、と環境のせいにして
時間がいつの間にかなくて寝不足になるもの帰る時間が遅いから、と仕事のせいに
なんでも『いいよ』と言ってしまうのも相手に良く思われようとするから
いつでもにこにこ話を聞いてしまうのも嫌われないため。
全部、原因を理由を環境や相手のせいにしてきたけれど、
全部全部、自分で選んで来た事。
言い訳、理由をつけていただけだった。
そう、甘えていた。
他人にはちっとも甘えられないのに、
自分にはたっぷり甘えていた。
そんなコトに衝撃を受けつつ、私は
甘えには2つの種類がある事に気付いた。
『他人にはちっとも甘えられないのに、
自分にはたっぷり甘えていた。』
これをヒントに。
その甘える相手は『誰に?』という違い。
自分と他者への甘えがあるが、
2つは全然意味合いが異なる。
自分への甘え。と他者へ甘えること。
自分への甘えは精神的に自立しておらず、
他者へ甘える事は相手を信頼しているから出来る事。
私は確実に甘えべた。
精神的にも自立してないし、相手を信じるなんて。。。。もってのほか!笑
ダブルパンチ。
(自分に対して)あまい
(全然できない他者への)あまえ
そんな現実を目の当たりにした11月中旬。
でもそれに気付く事ができた11月中旬。
また一つ成長したね。
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