私の概念が 音を立てて崩れた。
「善」と「悪」
「善い事」と「悪い事」
仕事をする事は良い事。
そして、
仕事をしないのは悪い事。
という認識で今まで生きて来た。
でも、私は衝撃を受けたんだ。
ある本によって。
その私が読んだ本によると、
「善」の意味は道徳的な意味での正義ではなく、
「ためになる」という意。
反対に、
「悪」は不正という意味ではなくて
「ためにならない」という意味。
つまり、
最初に例にあげた仕事。
を新たな解釈にすると、、、、
仕事をする事がよい
ではなくて、
その仕事が為になっていれば善い が
誰かの/何かの為にもなっていなければ
「悪」と化するのだ!!!!
つまり、ただただとりえあず仕事をしることがいい。
と言う事ではなくて、
為になってなければそれに意味がなく
むしろ悪い事にもなるのだ。
衝 撃 的 !
逆に、仕事をさぼる、しない事は悪い事だったけれど、
その仕事が上司や、お客さんや自分にとってもためにならない事ならば、
仕事しない事だって全然 悪 じゃない!
むしろいいんじゃん!!!
と言うわけでこんな事が「善」となってしまう!!!
(ヤッホーい!さぼれる!と喜んでる場合じゃなくてその仕事に価値を見いださないといけないか、直ちに辞める方がいいと思うってことだけれど)
もう、完全に
価 値 観 崩 壊 !
仕事について例に上げたけれど、
ためになると言う事をもっと突っ込むと
なにも「世の中の為」とか大きく言わなくても良いと思っている。
(不特定多数の)「ヒトのため」でなくとも良いと思う。
何が言いたいかっていうと
ためになる のは
「自分のため」でもいいよね。
って事。
私、昔のアルバイトを選ぶ基準が
「時給が高い事」だった。
とにかく効率よくお金を稼ごうと思って。
ある時は春休みだけの短期でベルトコンベアーに流れてくる緑の基盤に
2つの部品を瞬時に刺すだけの仕事をしていたのだけれど、、、、
(高速道路の路側帯にある緊急電話を作っていた笑)
確か日給8000円くらいだったかな。
でも
その仕事
楽しくもなければ、
むしろ
私には
下らなすぎて、
つまらなすぎて、、、、
その仕事はもしかしたら誰かの(その会社の)為になっていたかも知れなかったけれど、
私自身の為にはちっともなってなかったんだ。
なぜなら学ぶ事がなく変化もなく穴に針金のついた部品を刺していただけだから。
会社の為♡と感じられて働けていれば「善」
だったろうけれど、
一番身近な自分自身の為には明らかなになっていなかったので、
完全に「悪」だったわけよ。
そりゃ、退屈だわ。。。
だって「悪」だもの。
って、
そんな経験いくつもあるから
変にあの概念が納得してしまって。。。。
その仕事、
誰かの/何かの/自分の為になっている?
ありがとう って言われた?
good job! って自分に言える?
自分への質問が増えた♡
新たな大切にしたくなる基準をありがとう。
アドラー。
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